SDGs時代の経営 「アパレルにおけるSDGsを取り入れた経営とは」
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こんにちは、ゆうあいセンター CSR担当の小桐です。
今回は、2月18日に岡山市の主催で開催された「消費者志向経営」の第2回目の講座の紹介です。
地元岡山で活躍される 倉敷のジーンズアパレル ジョンブルの専務取締役 菅野 伸哉氏をゲストにお話を伺いました。
日本で縫製されている衣料品の中で、岡山県が全国で一番の商品は何かご存じですか?
答えは、学生服とジーンズです。実は、この2つには共通する繊維があります。 それは、木綿なのです
菅野さんが冒頭にお話された綿の歴史に少しだけ付け加えて情報をお届けします。
戦国時代に始まった日本の綿花の生産は、江戸初期から岡山県でも盛んになります。九州から始まった面の栽培は、瀬戸内海中を通って東へ東へと広まっていきました。岡山では、備中綿として栽培されました。
今でも、白石島や倉敷市で栽培されています。東日本大震災では、津波を被った土地を復興させようと綿を栽培して塩を土から取り除く取り組みがされています。 白石島の綿の種が福島県にも送られ、地元の人たちの手によって、商品になり販売され、復興の支援にも協力しています。
岡山で綿栽培ができたのは、3大河川から流れた土が作った瀬戸内海の土地でした。干拓で土地を広げ、稲作をしようとしましたが、最初は、塩害で育ちません。そこで当時栽培が広がっていた綿が植えられました。
同時に、倉敷市児島の由加山と四国の金毘羅山を両方お参りするとご利益があると旅人が増え、その際のお土産に綿を使った帯、足袋、紐が売れたのです。生産地と消費地が傍であったことから、岡山の繊維産業は栄えていきます。備中綿は繊維が太く、繊維長が短かったので、帯や足袋などの厚地織物に使われました。
その足袋の生地を使って作られたのが、学生服です。今は綿素材は使いませんが、そこで、岡山の縫製業が確立しました。学生の数が減るにしたがって、その技術を生かしたジーンズ生産が昭和40年代から本格化します。
菅野さんのお話も、ジーンズの話に始まり、中世から始まった岡山の綿を使った繊維の歴史、明治から昭和・平成へと移り変わった衣料品の変化(学生服からジーンズ・カジュアル、作業服への多様化)を紹介されました。
そして、自社ジョンブルの活動やファッションの現状もお話しされ、一見、華やかなファッションの裏側にあるものを知る機会をいただきました。そして、参加者一人一人が消費者目線で理解できる講演でした。
ここからが本題です。
・衝撃だったのは、映画トゥルーコストの紹介に始まる衣料品の現状、バングラディシュでの縫製工場のビル倒壊写真や 国内に供給される29億点の商品のうち正規で売れるものは半分、残りは、ネームの付け替えや海外での販売へ回る事実。
・1991年アパレルの規模は15兆円それが、2015年には、10兆円に規模縮小。しかし供給点数は2倍となっている。縫製やモノづくりに関わる人の貧困の現状がある。背景はファストファッションと呼ばれるものの存在。
・上記のようなお話によりSDGsへの意識が高められ、ジョンブルの人を大事にしながらものづくりをする姿勢に、参加者の方に、作り手の思いやどのように商品が出来ているかを知ることが大事と共有することが出来ました。
・BtoB(企業から企業へ),BtoC(企業から個人へ),CtoC(個人から個人へ)のビジネスモデルから 意志を持った作り手やメーカーがライフスタイルを支える衣料品づくりへのパラダイムシフトが必要だと強調されていたのが印象的です。
・ファッションは単なるデザインではなく、生活や仕事を支える機能を持ったギアであるべきとの主張が感じられました。思いをカタチにする。そこに価格だけではない、価値の共有が存在するということです。
・2回の講座を通してわかることは、SDGsのコンセプトにある「だれ一人取り残さない」で課題を解決することです。私たち一人一人の意識の変革とそれによる行動の変更、周りの人たちとのコミュニケーションの質のアップ。そして、協働が重要と感じられた講演でした。
・アンケートより、いい会社を岡山で増やしていくために、様々な企業の事例を聞いたり、企業同士のネットワークづくりがあればという、自発的な意見が多く見られました。

