若者と企業と一緒に持続可能な地域の未来を描くシンポジウム

イベント・セミナーまち・むら倉敷市

こんにちは、ゆうあいセンターCSR相談員 小桐です。
岡山でSDGsの普及・実践を進めるSDGsネットワークおかやまが後援したシンポジウムが、去る2月27日倉敷市水島で開催されました。そのレポートです。

2020年SDGs未来都市に登録された倉敷市は、その中心を流れる高梁川の広域的流域の自治体や官民の連携によってSDGsの目標を達成しようとしています。その推進団体の一つである
「みずしま滞在型環境学習コンソーシアム」。同団体は、水島地区の持続可能性を高める活動をする団体が連携している組織です。
今回のシンポジウムでは、これまで、水島を含む高梁川流域で、地域の持続可能性について学んできた若者たちの取り組みを発表やサポート者が振り返りをしました。

はじめに特別講演として、広島で大学生が企業を訪問し、SDGSの視点で取材をし、「SDGsセレクトブック」として作成してきた取り組みを、EPO中国の松原事務局長と大学生の代表 沖元 はるかさんが紹介しました。

この取り組みの背景には、一方SDGsのバッジをつけていてもその意味を知らない人がいる。日本の半数はSDGsを知らないという現実があり、環境省、広島県、大学生の対談により、若い世代がSDGsを自分事として捉えられる人数を増やす必要があることを確認し、広島県がそのプロジェクトを実施するということで始まったものです。

同プロジェクトは2018年から始まりました。豪雨災害の直後8~9月にかけて26社を訪問、翌年には29社、2020年度は33社にまで広がっています。先生から紹介された企業を取材することで大学生たちは、企業研究が出来、企業としては、取材を通して自社の持続可能な活動を広く社会に知ってもらえる機会としてそれぞれがメリットを感じています。
和菓子を製造するお店では、収益の一部をこども食堂に寄付を行っていることなど表面ではわからないことを成果物の冊子で情報発信が出来ました。

続いて、「みんなで作り、みんなで使う地域学の教科書」という題目で岡山大学 前田 地域総合研究副センター長から 高梁川流域での学びについて発表がありました。
50年先のことを考えるには現時点の50年前を知るべき、1960年を知ることで2050年が見えてくる。

大分県出身の前田さんが1枚の絵を紹介します。
1960年の大分駅の絵 集団就職で旅立つ多くの中学生を見送り柱の陰で泣いている男性。 当時は、日本で工業化がはじまり、若者は工場のある都会へとどんどんふるさとを捨てて出ていきました。泣いていたのはどうやら県知事。ふるさとに現金収入を得られる場所がなく、若者が出ていく姿に涙を流していたのです。その後、新産業都市計画が全国各地の地方都市で起き、地方でも工業で働ける場所が増えていきました。
そのころから、農家から人手がなくなったので農業機械のトラクター類が普及。それまでは、田植えは、家族・親戚地域の人たちが協力して、田植えをし、お昼には手渡しでおにぎりをほおばる暮らしでした。

1970年 大阪で行われた初めての万国博覧会、人類と進歩と調和というテーマで行われました。
その中では、未来の暮らしを支える色々な発明品が出されました。 今の携帯電話につながるコードレスの電話機や人間洗濯機=人がカプセルの中に入り機械が自動で体を洗ってくれる装置。
しかし、今での私たちは風呂では自分で体を洗います。なぜこれは実現しなかったのか?
技術だけでは、解決できない暮らしの視点があると前田さんは考えておられるようです。

現在豊田市で始まる新たな街づくりトヨタコネクティッドシティ。この取り組みが人間洗濯機の二の舞いにならなけれ良いがと話されました。
次に、今のバングラディシュの駅の風景。1960年の大分駅と同じ風景がそこにあるそうです。
今途上国で、日本の過去が繰り返されています。

話は、高梁川流域で今行われている高校生の地域学の学びに移ります。
水島地区にある古城池高校の生徒が段ボールで等高線を表現したジオラマを作り、現場を歩くことで、災害の危険性がある場所を知り、ジオラマを使ってそれを広く外部に発表できるようになったという事例紹介が紹介されました。

地元の高校生たちが、1次産業に関わるお年寄りの世代にその仕事や当時の暮らしについて話を聞きお年寄り、お年寄りのなぎレポートを書く学び「聞き書き」の紹介です。 あるおじいさんは、木を植え、何代も先の世代が利用する木を考えて下草刈を続けています。それまでの世代はずっとその営みを繰り返していました。しかし、今それを次に受け継ぐ世代はいません。 持続可能とは何かをそこで高校生は知ります。
 今の大学では、木を植えることは教えてもその先50年木を守れという教育はしません。花粉の少ない木を研究することはあってもどう、未来につなぐかという発想がないのです。 ここに持続可能性は存在しないという思いが前田さんにはあります。

かつて、備中高梁で藩の財政危機を救った山田方谷の言葉を紹介されました。「事の外に立って内に屈せず」 事の中で考えると何もわからない。 客観的・俯瞰的に物事を考えるべきということです。
2018年の川の氾濫により多くの犠牲者、被害を発生させた倉敷市真備地区。作ってはいけない場所に町・住宅を作ったことが原因。今の大人の世代には、事の外に立って内に屈せずの感覚・意識がなかったと批判と共に反省をされました。

新見市の人口の推移のグラフを出して、1960年から集団就職で人が減り、どんどん人口が減ったことを説明されました。若者がいなくなったので、次の世代の人口が増えないのは当然。今後人口はどうなる?単に、数値を分析するだけでは、解決策は見えない。1960年に何があったか 当時を知る人から話を聞くことが大事と締めくくられました。

以下 上記に関連して 小桐がSDGsの基礎講座で話す内容を一部紹介します。
1960年は、日本人が地球1個分の暮らしをしていた最後の年です。今は2.9個の暮らしをしています。その年まで日本には食料・食糧の輸入は殆どありませんでした。9000万人近くの人が国内の食べ物を食べて暮らしていました。マグロなどはほんの一部の地域の人しか食べていませんでした。肉食も少なかったです。
 昨年、2050年CO2排出ゼロの宣言を菅首相がしました。それまでは、2050年は2013年比80%のCO2排出量に抑えることが目標でしたが、その80%の削減目標の年のエネルギー使用量にあたるのが奇しくも1960年でした。これよりさらに、20%のエネルギー使用量の削減をしなければ温暖化という観点からは持続可能になりません。

シンポジウムの最後に、地域の事を学んできた古城池高校の生徒さんを加えてパネルディスカッションを行いました。ワッショイトーカーズ という名前で地域に出て学びをした生徒さんたちは水島臨海鉄道が認定したの各駅周辺での名物商品を探し、みずしまっぷを作成したり、水島を調べてフリーペーパーを作って配布したりしてきました。地域のイベントにも参加しました。

そこで学んだことは、データの裏側は地域に出ないとわからない。まちづくりは行政主導でなく、地域が主導することで動くことが分かった、人とつながることは楽しいし、大事である。
パーキングデイというイベントでは、つながりが広がる実感を得た、伝えるためにまとめることの難しさを知ったなどです。

経験したから本音の言葉が出た、将来を考える際に職業でなく、生き方について考えられるようになったことが良かったと大人たちからのコメントがありました。地域おこし協力隊としての仕事が十分できるように若者が育っているという力強い言葉が印象的でした。

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